一級建築士設計製図試験指導の現場で近年目立っていることのひとつに「問題文の読み飛ばし」=すなわち設問の指示を正確に把握せずに計画を進めてしまうことです。
受験生はこれを「ケアレスミス」や「注意力不足」として処理しがちですが、本当にそうなのでしょうか?
今回は私の師匠の一人である内田樹さんのテキストから引用してまとめ直しました。
■「無純」と書いた学生の衝撃
この現象を考えるうえで、思想家・内田樹氏が語った「無純」という誤字のエピソードをご紹介します。ある学生が卒業論文で「矛盾(むじゅん)」を「無純」と誤記していたのです。
これは一見、ただのミスに見えます。しかし内田氏は、「その学生は“矛盾”という概念を理解していたのだ」と評しました。音と意味をもとに「無」+「純」という文字を当てたのです。これは、単なる間違いではなく、ある種の意味的連想と文脈読解の結果であったのです。
では、なぜ誤字になってしまったのでしょうか。内田氏は「学生は“矛盾”という文字を知らなかった」と指摘します。つまり、彼らは読書の中で漢字を「眺めて」はいても、「記憶」していなかったのです。
ここで指摘されているのは、「読み飛ばしが常態化した知性」です。大量の情報にさらされ、流し読みする習慣が根づいてしまうと、文字情報を「音」や「雰囲気」で処理するようになります。正確に書く、構造を理解する、意味の奥を掘る、といった読み方が弱くなるのです。
■設計製図試験に潜む「意味の誤読」
この傾向は、一級建築士設計製図試験にも色濃く現れていると考えられます。
「多目的室は1階に設けること」「動線を明確に分けること」「カフェは公園からのアプローチにも配慮すること」などの指示は、問題文に明確に書かれています。しかし、受験者は、それを読み飛ばす、あるいは「解釈の幅」を勝手に広げてしまいます。
たとえば、「カフェは公園からのアプローチにも配慮すること」。単に通路を取ればよいというのではなく、公園から計画したアプローチへの配慮が感じられるものでなければなりません。ですが、「とりあえず通れるようにしました」という計画で終わっていることが多々あります。これは、問題文を読んだ“つもり”になっていて、「意味を読み抜く」作業をしていないことの証です。
さらに近年の傾向としては、公園からのアプローチそのものが抜けているケースも散見されます。
■読み飛ばしの裏にある「知性の変質」
ここでいう「読み飛ばし」は怠慢や緊張による単純な見落としではありません。
むしろ、スマートフォンやSNSに最適化された「視覚的スキャン読解」が、受験者の基本的な読み方になってしまっているのです。彼らは文字を「見て」はいても、意味を「咀嚼」していません。熟読せずに読み流す習慣が、無意識に思考の型を決めているのです。
これは、「構造化された情報」を扱う建築という分野において、致命的なズレを生むことになる可能性が高い。
設計製図試験では、問題文を理解し、指定条件をヒエラルキー(階層)化し、重要なポイントとどうでもよいポイントに分けつつ、空間構成や配置に反映することが求められます。ですが読み飛ばす癖がついた状態では、「空間構成」を読み取ることができません。
■読み抜く力を取り戻すには
では、どうすれば「読み飛ばし」から脱却できるのでしょうか。
それは、「書くように読む」訓練に尽きると考えます。
内田樹氏は、卒論を「後輩への贈与として書け」と語っています。自分の知識や経験を、誰かに手渡すように書く。そのとき、言葉の選び方や論理の構成に責任が生まれます。
同じように、設計製図試験も「採点官がこの図面と記述の答案から不合格者を判断する」ことを想定して考えるべきです。そのためには、「自分の頭の中」だけで納得せず、「採点官がどう読むか」を意識した読解と表現が必要になります。
つまり、読むことは答案を描くことであり、描くことは採点官に理解度を示すメディアである、という意識を持つことが、最大の防御になるのです。
■試験に勝つためだけではない読解力
読み抜く力は、合格するためだけの技術ではありません。
建築士として社会に出たとき、法規を読み、クライアントの要望を読み、現場の状況を読み、言外の「空気」までも読み取ることが求められます。その力は、設計製図試験の問題文を丁寧に読み解くことから、ゆっくりと芽を出します。
受験生の多くは、そういった実務社会や家庭生活の経験者であるわけですから、その経験のフィードバックをすれば、本来多くは解決するはずです。
そういう意味では、実務経験や社会人生活からフィードバックする想像力、類推力が少し足りないわけですが、この力は建築士にとっては非常に重要な職能です。
ここまで読んで「そんな力持ってねぇよ」と思ったあなた。
では、製図試験を通じて、暮らしからフィードバックする想像力と類推力を鍛えて下さい。
読み飛ばしの知性から、読み抜く知性へ。
建築という仕事が、空間を通じて他者の人生に触れる営みである以上、「問題文を読む」という行為の中に、最大の倫理(人間生活の秩序つまり人倫の中で踏み行うべき規範の筋道)が必要になるのではないでしょうか。
私は、一級建築士設計製図試験は、「アルナシ・法規・数字」による採点の公平性にこだわり、ガラパゴス的な劣化に陥った時代錯誤の試験だと思っていますが、その学習プロセスにおいて、生涯使えるツールを培う最後にして絶好の機会だと考えています。
そんな「読み解く知性」を持った一級建築士を一人でも多く排出したいということが、私の生涯の願いです。
