ある夫婦が近所から三つの餅をもらった。
それを2人でひとつずつ食したが、もうひとつについては1人が食べるわけにもいかず、意見が分かれたため、「先に言葉を発した方が負けというゲームをしよう」ということとなった。
2人は餅が食べたいため、どんな用事があっても一切の言葉を話さずに過ごし沈黙を守った。
しかし。
そこに泥棒が入ってきた。泥棒は、2人が全く言葉を発しないのをいいことに、声が出せない夫婦だと判断し、そこら中の物品をあさり、財物を盗み出そうとした。
妻は耐えきれずに夫に大声で叫んだ。
「盗賊が入り込んでいるのに、餅ひとつのために黙っているとは何事ですか!」
夫は手を叩いて喜んだ。
「これで餅は俺のものだ!」
寓話です、あくまで。
大阪人でなくても「ネタでしょ、それ。」という内容で、あくまで寓話(作り話)です。
ですが、どれだけ資格学校のルールに縛られている受験生の多いことか。
「資格学校では◯◯◯でした」
「資格学校では△△△でした」
そんな会話は毎日のように弊社の受講生の間でも飛び交っています。
「資格学校が言っているから◯◯とした。」
そんな風に考えるのであれば、建築士になる必要はありません。
私自身は、少なくともモノを作る、設計する人間は、
なぜそうするのかという理由なしにモノに形を与えてはいけない
そう信じる一人だからです。
私達は、エンドユーザー(顧客)ではなく、作り手側なんです。消費者は理由を知らなくてもいいかもしれません。でも作り手側は、理由なしにモノを作ってはいけないと考えています。
資格学校が受講生をエンドユーザー扱いすることは建築士になろうとしている受験生への一種の冒涜だと思っています。
なぜそう判断するのか、なぜ決定できるのか
建築士は、「国民の生命と財産を担保する建築物を設計する資格」です。
そのために重要なのは、利用者が使いやすく、管理者が管理しやすいという機能的な計画と構造の安全性、設備の快適性、そして法規に適合していること(ただし建築基準法は満たさねばならない最低基準)が求められています。
製図試験でも多くは、建築法規と構造・設備によってルール化されています。
理由があるわけです。もちろん、観て真似るというところが計画のスタートラインでもありますが、形を決めるルールがあります。
ただし製図試験だけのローカルルールがなぜか存在します。理由は明白です。
製図試験が実務のシミュレーションであるため、実務と一部かけ離れている部分があるからです。
それについては、弊社では製図試験ローカルルールブックを作成しています。